仕事の内容にも、納期にも返事ができた。ところが、取引先の登録票にある一つの欄だけが埋められない。初めての継続依頼を前に、インボイス登録を約束しかけた女性のSTORYです。
※この記事のSTORY部分はオリジナルフィクションです。人物・企業・取引条件は架空です。
STORY|空欄のまま、仕事は待ってくれない
「来月から、毎月お願いできればと思っています」
メールを読み、実乃里は椅子の上で小さく拳を握った。
50歳。編集プロダクションを辞め、自宅で校正の仕事を始めて4か月になる。単発の依頼は来たが、次の月にも仕事があるとは限らなかった。初めての継続依頼だった。
担当者が送ってきた取引先登録票には、住所、振込先、連絡先が並んでいた。その下に「適格請求書発行事業者登録番号」とあった。
実乃里は、開業前に税理士からもらった説明資料を開き直した。登録を見送ったまま、次にいつ検討するかは決めていなかった。
「インボイスの登録番号はお持ちですか」
翌日、担当者から確認が届いた。実乃里は「申請します」と打った。登録後にどんな負担が生じるのか、改めて確かめてもいなかった。
それでも、返事を遅らせたら仕事がほかへ行く気がした。会社にいたころ、こういう書類は総務へ回していた。今は、何を求められているのか、自分で確かめて返事をしなければならなかった。
登録した後の負担まで、考えていなかった
開業前、売上げや働き方を伝えて税理士に相談し、現状では消費税の免税事業者に当たることを確認していた。インボイスについても説明を受けたが、「必要になったら相談する」で終えていた。
その「必要になったら」が来ただけなのに、ずいぶん急に思えた。
税理士に取引先登録票と年間の売上見込みを送り、改めて聞いた。登録すると、免税のまま番号だけを持つことはできない。消費税の申告や、請求・記録の管理をどうするかも考える必要があった。
「番号をもらって終わり、ではないんですね」
実乃里はそう言ってから、自分が考えていたのは、今日のメールを返すところまでだったと気づいた。
登録した場合の税額や事務負担は、売上げと経費、使える制度で違う。今後、ほかにどんな相手と取引したいのかも聞かれた。まだ来ていない依頼を、収入として数えることはできなかった。
パソコンの隣には、校正紙があった。誤字には、すぐ赤字を入れられた。けれど、自分の仕事の見通しは、何から確かめ直せばいいのか分からなかった。
聞いていなかった、相手の条件
実乃里は、下書きの「申請します」を消した。
「現在は未登録です。登録済みであることが、今回のお取引の必須条件でしょうか」
送るのに、午前中いっぱいかかった。
担当者の返事は、思っていたより事務的だった。まず現状を把握するための確認だという。ただ、継続発注の条件は経理と相談するので、少し待ってほしいとあった。
必須とは、どこにも書かれていなかった。登録していなければ断られると、実乃里は思い込んでいた。
数日後、未登録のままでも、まず3か月は依頼したいと連絡が来た。その後も発注を続けるか、続ける場合の条件をどうするかは、社内で検討するとのことだった。
最初のメールには、何か月続けるかは書かれていなかった。「毎月」という言葉だけで、長く続く仕事だと期待していた。
実乃里は、3か月の依頼として、内容と報酬に納得できるかを考えた。登録したら、その先の仕事を約束してもらえるのかも尋ねた。登録の有無にかかわらず、今の時点で発注を約束できるのは3か月までだという返事だった。
毎月頼みたいと言われたときには、ようやく仕事が安定すると思った。その期待を引っ込めるのは、悔しかった。登録するかどうかと、仕事が続くかどうかは、別に考えなければならなかった。
返事をしても、先は決まらない
実乃里は、今回は未登録のまま引き受けると返事をした。担当する範囲、報酬、納期、支払日を確かめ、合意した内容を残した。番号の欄は空白で送り返すのではなく、未登録と記入した。
登録するかどうかは、引き続き検討することにした。3か月後の発注について話す前に、ほかの取引先の希望や実際の売上げを整理し、もう一度税理士に相談するつもりだった。
友人に「継続の仕事が決まった」と送ろうとして、「まず3か月」と書き足した。景気の悪い報告みたいで、いったん消した。それから、もう一度足した。
「じゃあ、忙しくなるね」と返信が来た。
翌朝、最初の原稿が届いた。実乃里は請求書のひな型を閉じ、校正紙を広げた。
1ページ目の見出しに、小さな誤字があった。赤鉛筆で直した。今月の仕事は、もう始まっていた。
この話、実際なら?|インボイス登録を求められたら
実乃里の取引結果は創作上の一例です。未登録でも同じ条件で受注できることや、登録すれば継続依頼を得られることを保証するものではありません。
1.開業とインボイス登録は、別に考える
インボイスを発行するには、適格請求書発行事業者の登録が必要です。開業届を提出しただけで、この登録を受けたことにはなりません。一方、登録自体は任意です。未登録だから事業や仕事そのものが一律に禁止されるわけではありません。
免税事業者が登録すると課税事業者となり、消費税の申告が必要になります。「請求書に番号を足すだけ」と考えず、税負担、記帳・申告の方法や費用、登録する時期を確認してください。
出典:厚生労働省事業「ホームワーカーズウェブ」税務申告関連FAQ/財務省「インボイス制度の登録・事前準備チェックポイント」(登録・申告の基本事項)
2.取引先が何を求めているか、確かめる
相手が登録状況を確認しているだけなのか、登録を取引条件として求めているのかを分けて聞きます。請求方法、報酬、登録までの取扱い、発注を見直す時期も、曖昧なままにしないことが大切です。
買手側でも、消費者か事業者か、仕入税額控除の方法等によってインボイスの必要性は異なります。未登録事業者との取引に関する経過措置もあるため、「番号がなければ相手は一切控除できない」と一律には言えません。
3.価格の相談と、一方的な不利益を区別する
取引条件を見直す相談自体が、直ちに違法になるわけではありません。ただし、取引上の立場を利用して一方的に著しく低い価格を設定するなど、不当に不利益を与える行為は、独占禁止法等の問題となるおそれがあります。適用や判断は、当事者と取引の内容によります。
困ったときは、提示された条件、見積書、メール等を保存し、公正取引委員会等の相談窓口へ。登録や税額の判断は、税務署・税理士へ相談します。税負担を軽減する措置にも要件や期間があるため、古い紹介記事の割合をそのまま使わず、自分の課税期間に適用される制度を確認してください。
出典:公正取引委員会ほか「免税事業者及びその取引先のインボイス制度への対応に関するQ&A」(特にQ1〜3・Q7)
次の一歩|登録状況・取引条件・登録後の負担を確認する
「今の登録状況」「相手が求める条件」「登録した場合に続く税・事務負担」を分けてメモしましょう。取引先への確認と、税務の相談は両方必要です。仕事を失いたくない気持ちだけで、まだ決めていない登録を約束しないようにします。
有料で引き受ける範囲を確認する物語として、「一番好きな写真は、納品しなかった。52歳、趣味が副業になった日」もあります。こちらは撮影の用途と、依頼内容のすれ違いを描いています。
※実用情報は2026年10月22日に上記公式資料で確認。登録の適否、税額、個別取引の法的判断は、事業・契約・適用時期によって異なります。