親と家族

「一部屋あるから、おいでよ」息子のマンションで、夫婦の返事が分かれた

息子家族のマンションの仕事部屋で、同居について話す65歳の志津、67歳の康平と30代の息子の妻・奈緒を描いたイメージ

地方の戸建てから、子ども家族の暮らす都心のマンションへ。「そばにいれば安心」という誘いに、夫は乗り気でした。妻が引っかかったのは、持っていけない家具のことだけではありません。

※このSTORYはオリジナルフィクションです。人物・出来事は架空で、実話や取材に基づくものではありません。

STORY

「一部屋あるから、おいでよ」

息子から電話でそう言われたとき、65歳の志津は、まだ返事をしていなかった。隣にいた67歳の夫・康平が「それは助かる」と答えた。

北関東の地方都市で、2人は庭のある戸建てに暮らしていた。昨年は雨どいを直し、今度は台所の蛇口が水を止めても少し漏れる。康平は庭木を切るたび、もう広い家は要らないと言った。

息子夫婦は、3年前に買った東京都心の中古マンションに、7歳の娘と住んでいる。駅も店も近い。孫とは年に数回しか会えない。志津にも、心の動く理由はあった。

「家を売ったお金で、向こうを少し直せばいい。お前も楽になるぞ」

康平は、何から楽になるのか聞かなかった。志津も、庭の手入れはあなたがしているでしょう、と言い返すのをやめた。代わりにスマートフォンで「子どもと同居 マンション」と検索した。

翌月、2人で息子の家を訪ねた。3LDKのうち、玄関に近い一部屋へ案内された。壁際に机が2つ、足元にコードが束ねてある。

「ここ、使ってないんじゃなかったの?」

志津が聞くと、息子の妻・奈緒が答えた。

「寝る部屋にはしていなくて。平日は私がここで仕事をしています。悠人も、夜に持ち帰った仕事をするときはここです」

机を移せば布団を2組敷けそうだった。けれど、移す先はリビングしかない。奈緒は、打ち合わせ中の音が入らない場所を考えないと、と言った。

「壁を少し動かせないかしら。改修費は私たちが出すつもりよ」

志津は、言った途端に気が大きくなった。お金を出すなら、希望を言ってもいいはずだ。台所の棚も使いやすくしたい。長年使っている食器棚の寸法を、鞄から出したメモで見せた。

奈緒はメモを見たあと、台所を振り返った。

「これを置くなら、今の棚をどけることになりますね。私は今の並びに慣れているので、そこは残したいです」

悠人が「お母さん、家具は少し減らしてきてよ」と口を挟んだ。志津はメモを折った。来てほしいと言ったのは、そちらなのに。

その晩は、リビングに布団を敷いた。孫が眠ると、奈緒は仕事部屋へ戻った。悠人は食洗機を動かし、翌朝の弁当箱を出した。休日の来客用の夕食が終わっても、この家の明日の準備は続いていた。

「私が来たら、夕飯くらいは作るわよ」

志津は悠人に言った。話を戻すつもりだった。

「それは助かる。でも毎日頼めるって、俺が決めていいことじゃないよね」

隣の布団で康平が寝返りを打った。志津は、家事を引き受ければ台所の並びも決められるようになる、とどこかで考えていた自分が嫌だった。

帰りの電車で、康平は言った。

「奈緒さん、よく考えてくれてるじゃないか」

「そうね。でも私は、あの部屋に移るとは決めてない」

「じゃあ、あの家をいつまで俺が手入れするんだ」

志津は窓の外へ顔を向けた。自分の台所を守りたい気持ちは本当だ。それを守るための庭や家の負担を、康平に預けたままなのも本当だった。

家に戻り、志津は蛇口の修理と庭木の手入れを業者に頼む場合の見積もりを取った。金額を見て、ここに残るのも楽な選択ではないと思った。それでも、この家で続けたい暮らしがあった。

康平は、次は1人で、平日を含めた1週間を息子の家で過ごしたいと言った。悠人と奈緒が仕事部屋をどう使うか、3人で相談し、泊まる日を決めた。2人で住む場合の試しにはならないが、康平は都心での日常を自分で知りたがった。

「帰ってきてから、もう一度話そう」

「話す。でも、あなたが住みたいと思ったら、私も同じ返事をするとは限らないわ」

康平はしばらく黙り、旅行袋を開いた。志津は自分の分を出さなかった。家の売却も、改修も、申し込んではいない。

出発の日、駅まで送った志津は、康平の背中が改札の向こうへ消えるまで見ていた。帰宅すると、玄関には夫の普段履きの靴が残っていた。志津はそれを端へ寄せず、自分の靴だけ脱いだ。

この話、実際なら?

親子同居を考えるとき、空いた部屋の数だけでは分からないことがあります。志津たちのように、親夫婦それぞれの希望も、子ども夫婦それぞれの事情も確かめる必要があります。

1.「住める」と「暮らしを続けられる」を分けて確かめる

寝室・収納だけでなく、在宅勤務、食事、入浴、起床時間、1人で過ごす場所を具体的に並べます。家事や孫の世話を、同居の当然の対価にしないことも大切です。

試しに泊まるなら休日だけでなく平日の動きも確認し、感想を別々に聞きます。これは生活を比べるための方法で、短い滞在がうまくいけば同居も大丈夫、という保証ではありません。合わなかったときに誰がどこへ移り、費用をどう負担するかも話題にします。

2.中古マンションは、改修の前に規約と維持費を見る

間取りを変えたい場合は、そのマンションの管理規約・使用細則を確認し、管理組合や管理会社へ相談します。国土交通省のQ&Aでも、工事のルールは各マンションで確認するよう案内されています。室内だから自由に工事できる、とは考えず、施工できる範囲と必要な手続きを契約前に確かめましょう。

管理費・修繕積立金は住宅ローンとは別の負担です。国土交通省のチェックシートを参考に、現在の額だけでなく、支払額の変更予定や長期修繕計画も確認します。そのうえで、生活費と住まいの費用を親子でどう分担するか整理します。

3.親が改修費を出すなら、名義とお金の扱いも確認する

子どもに改修資金を渡す場合は、贈与税の検討が必要です。国税庁が案内する住宅取得等資金の贈与の非課税には、対象期間、受贈者、工事、申告などの要件があり、家族の同居用なら何でも非課税になる制度ではありません。改修の内容と建物の名義、資金の渡し方を整理し、支払い前に税務署や税理士へ確認してください。

元の戸建てを手放すかは、同居の可否とは分けて検討できます。ただし、残す間も維持費や管理は続きます。相続した家を扱う記事ですが、売却・賃貸・保有それぞれの負担を比べる材料として、「相続した実家はどうする?売る・貸す・残すを比較」も参考になります。相続の手続きは、今回のような本人所有の家とは異なります。

次の一歩

家の売却や改修を申し込む前に、「変えてもよい日常」と「続けたい日常」を、同居する全員が別々に書いてみてください。広さや金額の話を始める前に、違う希望があること自体を確かめられます。

出典・確認した資料

制度情報の確認日:2026年10月13日。管理規約は物件ごとに異なり、税の扱いは個別の条件で変わります。

国土交通省:専有部分の模様替え工事と届出に関するQ&A/マンションの管理状況チェックシート

国税庁:No.4508 直系尊属から住宅取得等資金の贈与を受けた場合の非課税(令和8年4月1日現在法令等)