免許を返したあとも、車は駐車場に残ります。父の車を息子に譲ってもらえば無駄にならない。そう考えた娘が、家族それぞれの思惑と、車を持つための費用に向き合うSTORYです。
※この記事のSTORY部分は、実際に起こり得る状況をもとに構成したフィクションです。
STORY|ただでもらう車の、ただではない話
「お父さんの車、航平にちょうだいよ」
美和が言うと、父の栄治は、車の鍵を握ったまま黙った。
美和は52歳。父は78歳で、先月、自分で運転免許を返納した。駅に近いこの家なら買い物にも通院にも困らないと、しばらく歩いて確かめたうえでの決断だった。車だけが、以前と同じ場所にある。
大学生の息子の航平は、免許を取ったばかりだ。祖父の小型乗用車はまだ十分走る。売って知らない人が乗るより、孫が使うほうが父もうれしいだろう。美和は、いい提案を持ってきたつもりだった。
「航平は何て言ってる」
「欲しいって。そりゃ喜んでるよ」
栄治は鍵をズボンのポケットへ戻した。
「じゃあ、航平と話す」
置く場所は、今までどおり?
次の日曜、美和は息子を連れて実家へ行った。航平は車の周囲を一周し、まだ磨かれているボンネットをのぞき込んだ。
栄治が、これからどこへ置くのか尋ねた。
「しばらくここでいい? 使う日に取りに来るから」
「いつまで」
「就職してから、かな」
栄治は空いたスペースに自転車を置き、鉢植えも移すつもりだと言った。美和には初耳だった。車がなくなったあとの場所を、父はもう使おうとしていた。
航平はスマートフォンで、自宅近くの月極駐車場を探した。表示された金額を見て、口を閉じた。美和も画面をのぞいた。保険や車検、整備の費用は、まだその外にある。
「名前は、おじいちゃんのままでもいいの?」
航平の問いに、美和は「身内なんだから」と言いかけた。
栄治が先に答えた。
「車を譲るのと、ここで預かっておくのは、違う話だろう」
その声は、少し楽しそうだった。父にしてみれば、ようやく自分の案を話す順番が来たのかもしれなかった。
鍵を渡す日を、先に決めない
3人で、車の書類入れを開いた。小さい車検証の表面を見ても、所有者が誰か、美和にはすぐ分からなかった。一緒に保管されていた記録事項の書面を探し、栄治の名前を確かめた。
美和がひとまず鍵を預かろうとすると、父は首を振った。
「欲しいなら、手続きも置き場所も、航平が調べてからだ」
帰宅してから、美和は息子と管轄の窓口の案内を読み、必要書類を確認した。登録された車を譲るなら、家族間でも名義変更が要る。引渡し日までに何を準備するか、保険はいつからどうするか。思っていたより、決めることは多かった。
美和は父へ電話した。
「手続きは私が手伝うから。もう少し待ってくれる?」
言ってから、自分がまた息子より先に引き受けていることに気づいた。それでも、航平が車を持てたら便利だろうという気持ちは消えなかった。
その晩、航平が計算したメモを持ってきた。
「今回は、やめとく」
美和は、つい「せっかくなのに」と返した。
「ただでも、維持するお金はかかるから」
息子の言い方がもっともで、余計にがっかりした。自分が贈り物を断られたような気分だった。車は自分のものではないのに。
空いた場所に、何を置く
栄治は、買い取ってもらう方向で進めることにした。美和は店との連絡を手伝ったが、条件を確かめ、決めるのは父だった。引渡しと名義変更の予定、完了をどう確認するかも、先に聞いた。
最後に車内の物を出す日、航平も来た。後部座席の隙間から、昔なくした小さな魚のキーホルダーが出てきた。
「これ、釣りに行ったときの」
「お前、帰りに泣いてたな。魚が釣れなくて」
「おじいちゃんも釣れてなかったじゃん」
栄治は返事をせず、車の屋根を布でひと拭きした。
美和は、息子が乗り継ぐ結末のほうがきれいだったと思った。でも、父が望んでいたのは、きれいな結末ではなかったのだろう。
車が出ていったあと、栄治は鉢を並べ始めた。美和が真ん中に置いた大きな鉢を、すぐ端へ動かした。
「そこは、自転車」
美和は手を引っ込めた。航平は魚のキーホルダーを、自分の家の鍵につけていた。
この話、実際なら?|免許返納と車の手続きは別
1.まず「所有者」と、譲る・売る・使わないの別を確認
免許を返納しても、車の名義変更や抹消登録が自動的に済むわけではありません。車検証情報で所有者・使用者、住所、車検の有効期間を確認します。電子車検証は所有者の氏名・住所などが券面に表示されないため、車検証閲覧アプリや記録事項の書面も確認しましょう。販売店やローン会社が所有者なら、先にその相手へ手続きを尋ねます。
家族に譲るなら維持費・保管場所・手続き担当・引渡し時期を具体化します。売却と、解体を伴う廃車では必要な手続きが異なります。「引き取ってもらった」で終わらせず、何の手続きを誰が行い、完了を何で確認するかも契約前に確かめましょう。
出典:国土交通省「電子車検証について」/自動車リサイクル促進センター「リサイクル料金の支払い・受け取りの流れ」
2.登録自動車は家族間でも移転登録が必要
ここでいう登録自動車は、軽自動車などとは手続きが異なります。所有者が変わった場合の移転登録は15日以内に行う必要があります。譲渡証明書、旧・新所有者の印鑑証明書、車検証、必要に応じた委任状や車庫証明などを準備します。登録上の住所と現在の住所が違う場合は、つながりを示す追加書類が必要になることもあります。
これは書類の一例です。車検切れ、所有者と使用者が異なる場合、管轄変更によるナンバー交換など、条件によって変わります。鍵を先に渡す前に、管轄の運輸支局等で確認し、保険の変更や補償開始も保険会社へ相談してください。
出典:国土交通省「自動車登録情報の変更・移転登録」/東北運輸局「名義変更に必要な書類等」
3.軽自動車は、軽自動車検査協会の案内で確認
軽自動車の名義変更は、軽自動車検査協会へ確認します。登録自動車と必要書類を同じだと思わないことが大切です。例えば新しい使用者の住所を証する書面は、住民票の写しまたは印鑑証明書など、同協会が示す条件に従います。所有者が販売店・ローン会社などの場合は、事前の同意についても確認が必要です。
次の一歩|譲る前に、4つだけ書き出す
車検証情報を用意し、①誰の所有か、②誰が使いどこへ置くか、③維持費と手続きを誰が負担するか、④いつ引き渡し、完了をどう確認するかを話してみましょう。話がまとまらなければ、譲る約束を急がず、売却など別の選択肢も比較できます。
返納後の移動手段を家族で考える別の物語、「『車は俺が出すから』父に免許返納を勧めた54歳の息子が、予定表を開いた日」も、あわせてご覧ください。
※手続き情報は2026年10月20日に公的機関等の一次情報を確認しました。必要書類・申請方法・費用は車種や状況で異なるため、管轄窓口等で最新の案内を確認してください。
