近くに頼める親族がいない友人から、引っ越しの保証人を頼まれた。「私でよければ」。57歳の尚枝はそう答えました。契約書を読むより先に、友人を安心させたかったのです。
※この記事のSTORY部分は、実際に起こり得る状況をもとに構成したオリジナルフィクションです。人物・出来事・契約内容は架空です。
STORY|頼られたことが、うれしかった
「名前を貸してもらうだけだと思うんだけど」
駅の喫茶店で、59歳の祐里は封筒を鞄から出した。今のアパートが取り壊されるため、新しい部屋を探している。通勤に便利な物件が見つかったが、連帯保証人のことで止まっていた。
尚枝と祐里は、以前同じ店で働いていた。尚枝が結婚して勤務時間を減らしたあとも、月に一度ほど会っていた。祐里は近くに頼める親族がおらず、誰に頼むかを考えていたという。
「そんなに心配しないで。私でよければ」
尚枝は封筒を開く前に答えた。頼る相手に自分を選んでくれた。長い付き合いが、今も続いている気がした。
帰宅して、書類を机へ置いた。氏名、住所、勤務先。そこまでは普通の連絡先のようだった。その下に、保証する債務の範囲と「極度額」の欄があった。
賃料だけではなく、契約に基づく別の支払いも含まれている。上限の金額を見て、尚枝は封筒を持ったときより指先が冷たくなった。
夫に話すと、「その額を払うことになったら、うちの暮らしはどうなる?」と聞かれた。尚枝には、まだ住宅ローンの返済があった。夫の働き方も、数年後には変わる予定だった。
「祐里は、ちゃんと払う人だよ」
「そう思ってることと、引き受けられることは別じゃない?」
尚枝は、夫が友人を疑ったように感じた。けれど祐里の給与も、これからの支出も、自分は詳しく知らなかった。まじめな人だと知っていることと、今後の事情を全部知っていることを、同じにしていた。
翌日、尚枝は祐里へ電話した。
「夫に反対されて。保証人は、難しいみたい」
口にすると、少し楽になった。自分が断ったのではなく、家の事情でできない。祐里に嫌われない理由になりそうだった。
「尚枝は、いいって言ってくれたよね」
祐里の声は小さかった。不動産会社に、保証人は頼めそうだと伝えたという。尚枝はその先の言葉が出なかった。
「分かった。ほかを考える」
電話はそこで終わった。責められなかったことが、尚枝にはかえって重かった。
書類を読み直し、国土交通省の説明も確かめた。連帯保証は、連絡を取り次ぐだけの役ではない。極度額があっても、そこまでの負担を引き受けてよいかは、自分で考えなければならなかった。
夫は「絶対にだめ」と言ったわけではない。尚枝が答えられなかった質問をしただけだった。
尚枝は、祐里にもう一度連絡した。書類は持って返したかった。会う約束を頼むと、祐里は「駅なら、仕事の帰りに」と答えた。
駅の改札を出た所で、尚枝は封筒を渡した。
「夫に言われたからって話したけど、私が引き受けられないと思ったの。先に、できるって言ってごめん」
祐里は封筒を受け取った。尚枝は続けて、緊急連絡先なら何が求められるかを確認したうえで相談できること、荷物を運ぶ日なら手伝えることを伝えた。
「保証人を、そんなに軽く考えてたわけじゃないよ」
祐里は言った。近くに頼れる人がいないことを、何度も説明するのがつらかったという。尚枝がすぐ答えたときは、ようやく一つ進んだと思ったらしかった。
尚枝は、善意を見せる返事で、友人の予定まで進めてしまったのだと思った。だからといって、そのまま署名することはできなかった。
「分かってなかったのは、私の方だと思う」
尚枝が言うと、祐里は「部屋の条件も、聞き直してる」と答えた。保証会社を使う方法や、ほかの物件も確認しているという。まだ、引っ越し先は決まっていなかった。
その日は、一緒にお茶を飲まなかった。いつもの喫茶店は近かったが、どちらも誘わなかった。
しばらくして、祐里から新しい部屋が決まったと連絡が来た。契約は自分で確認して進めたという。保証人を断ったことに、改めて礼を言われたわけではなかった。
「日曜、本の箱だけ運べる?」
尚枝は、午前中なら手伝えると返した。「何でも言って」とは書かなかった。
日曜、新しい部屋の玄関へ箱を下ろすと、祐里が「それ、奥でいい」と言った。尚枝は靴を脱ぎ、本棚の前まで運んだ。思ったより重かった。
帰りにお茶を飲むかは、まだ聞けなかった。祐里から渡された空の台車を押し、尚枝はもう1箱を取りに戻った。
この話、実際なら?|賃貸の連帯保証人は、名前だけの役ではない
尚枝が読むべきだったのは、氏名を記入する欄だけではなく、責任の範囲でした。友人を信用する気持ちと、自分の生活で負担できるかを分けて確認します。
1.連帯保証と、緊急連絡先を区別する
民法446条・454条(e-Gov法令検索)では、保証人は主たる債務者が履行しないときに責任を負い、連帯保証人には「先に本人へ請求してほしい」「まず本人の財産へ執行してほしい」という抗弁が認められません。友人に支払う意思があっても、病気や失職などで履行できなくなる可能性は別にあります。
緊急連絡先は、通常、連絡や安否確認などのための役割で、それだけで連帯保証の責任を負うものではありません。ただし、名称だけで判断せず、提出する書類と求められる対応を確認してください。保証契約は書面または電磁的記録による方式が必要ですが、「名前だけだから」と確認せず署名・電子同意をしないことが大切です。
2.極度額と、何を保証するかを読む
国土交通省「賃貸住宅標準契約書」は、個人の連帯保証人の極度額を記入する契約書を案内しています。2020年4月1日施行の改正民法の対象となる個人根保証契約は、極度額の定めがなければ効力を生じません(民法465条の2)。古い契約や更新の扱いは、締結日と内容を確認する必要があります。
上限があることと、負担が小さいことは同じではありません。賃料以外の債務、契約期間・更新、終了の条件などを契約書で確かめ、その負担が自分の家計へ与える影響を考えます。不明点や紛争がある場合は弁護士などへ相談してください。
3.代わりの方法は、貸主側の条件も確認する
国土交通省は家賃債務保証業者型の標準契約書も公開しています。ただし、保証会社を使えばどの物件でも契約できる、個人の保証人が必ず不要になる、という意味ではありません。費用、審査、必要な連絡先などは貸主・管理会社へ確認します。断る場合は、引き受けられない役割を明確にし、別の手助けを提案するなら、その範囲も先に伝えましょう。
引き受けられる量を伝える難しさは、別の人物のSTORY「友人と会った帰り、いつも疲れていた。聞き役を休んでも、友達でいられる?」でも描いています。断り方を工夫しても、相手の気持ちがすぐ変わるとは限りません。
次の一歩|「私でよければ」の前に、書類を見せてもらう
その場で返事をせず、何の契約で、誰に対し、どこまで責任を負うのかを確認してください。もう契約を結んでいる場合は、友人へ断るだけで保証から外れるとは限りません。貸主等との契約関係を確認し、必要に応じて専門家へ相談します。
※実用部分は2026年10月15日時点の施行済み民法と国土交通省の一次情報を確認。個別の保証契約の効力や責任の範囲は、契約書等で確認してください。